2010年10月15日(金曜日)[ たばこ病のない世界を・・・ ]

【第8回】東京高裁での新たな闘い(1)

9月29日(水)、東京高裁で第2回口頭弁論が開かれ、今回は片山弁護団長から控訴理由の口頭弁論、私の原告陳述を行いました。

控訴理由は誰が見ても、もっともな「なるほどこれでは控訴せざるを得ないよな」と思えるものでした。

一審判決は「タバコ会社の有害性認識があったことは否定できないが、多くの人がタバコ病にかかり、その一部が死亡することまでの予見可能性は、1993年9月、原告水野が禁煙した段階までではもてなかった」としています。

たばこの人命に対する害を予防する手立ては、不十分ながら「注意」もしており、違法性はないとするものでした。

タバコ会社は、喫煙者が1日25本程度を継続して喫煙するとして、生産販売してきました。喫煙者が依存に陥りやすく、禁煙は難しいことを認識していたことは明らかです。高い蓋然性でがんや肺気腫などになり、一部は死亡することは当時の内外の文献からも十分予見できたし、すべきでした。もちろん既に医学的には明らかな事実でした。

とりわけ依存症について、人間の脳の「認知の歪み」がたばこの害を過小評価し、「吸いすぎなければいい」「自分は大丈夫だ」と思い、更には「タバコなしの人生は考えられない」ところまで進むケースもあり、禁煙を困難にしていたのです。この医学上の知見について、理解しないまま、タバコ会社の予見可能性を低く見ていることの誤りを明らかにしました。アメリカの公衆衛生総監報告を始め、内外の文献を示して証明しました。

嗜好品・注意表示について

嗜好品だからといって、違法性が阻害されるものではないとしつつ、科学的知見にもとづく注意表示があったとしています。

JTが「一定の有害性と依存症を承知の上で」喫煙が行われていたと言えるためには、被害の正確な認識とそれを踏まえての自由意志による選択がなされていると評価できる場合に限られるべきです。これは事実がその注意表示なるものの何たるかを示しています。

当時の喫煙者がタバコの有害性を認識して喫煙を続けていたというのはありえないことです。

「健康のため吸いすぎに注意しましょう」。「吸いすぎ注意」ではタバコは吸ってよいものとなり、有害性を深く認識するタバコ会社の注意にはなっていません。

「被害の認識と自由意志による選択」を求めるものではなく、違法性は否定できません。

詳しくは書けませんが、「たばこの生産者責任」は、極めて重いものです。

国民の健康と命にかかる公害裁判や薬害裁判の例もあり、読めば読むほどタバコ会社を許してはならなかったことが分かります。こうして高裁での争点が明らかになりました。

「横浜市従」第1256号(2010年10月15付)より

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