2011年4月1日(金曜日)[ コラム「しじゅう」 ]

改めて原発を考える、未完の技術と政治の逸脱

「原子力の平和利用」であり「電気料金も安くなる」として導入された原発。

昨今はCO2を出さないクリーンエネルギーとしてもてはやされてきた。しかし、巨大地震と大津波の前に「止める・冷やす・閉じ込める」という安全対策が破綻、「冷やす」のに一進一退し、「閉じ込める」ことができずに陸や海への放射能汚染が広がっている。にもかかわらず、なおも「すぐには人体に影響がない」レベルという報道が繰り返されている。しかし、微量であっても有害なのであり、細胞活動の活発な幼児ほど毒される危険が高いのである。

セシウムの半減期は30年、猛毒のプルトニウムにいたっては2万4千年という。仮に「閉じ込め」に成功したとしてもその処理費は膨大で、万年単位の処理期間は想像を絶する。

そうしたことに加えて、遺体の捜索すらできず、街ぐるみで移転を余儀なくされ、ふるさと復興の見通しも不透明という現実は、天災を凌ぐ人災というしかない。そして、そうした人災を誘発する原発は未完の技術というべきだ。

原子力安全委員会の松浦元委員長は「科学技術を結集すれば、地震や津波にも立ち向かえると考えて利用を進めてきたが、問題の解決法を突き詰めて考えられていなかったことを申し訳なく思う」と謝罪した。

だが、東京電力社長が副会長でもある日本経団連の米倉会長は「千年に一度の津波に耐えたのは素晴らしい」などという始末だ。

菅首相は「2030年までにさらに14基を新増設する」という計画の白紙化を表明したが、原発を推進してきた政治家諸氏から謝罪の弁は全く聞こえてこない。

個人の人権尊重を政府に課した日本国憲法から逸脱し、かの米倉経団連会長に代表される「法人」の意向と利益を最優先にして疑わない日本の歴代の政治こそが未曾有の人災の元凶だと思う。

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