2011年6月1日(水曜日)[ コラム「しじゅう」 ]

本当の責任はどこに

最近、社会の中での「責任」があいまいになっているように思えてならない。

組織においても、「自己責任」という意味不明の言葉がよく聞かれるようになった。仕事で間違いが生じた場合、担当した職員の責任だというのだ。自分で注意していれば誤りは防ぐことができたのだから、その責めは個人が負って当然ということなのだろう。でも、本当にそうだろうか。

だれも間違えようと思って仕事をしてはいない。正確さを求めて、慎重に取り組んでいるはずだ。もちろん、その結果に対する個人としての責任があることは言うまでもない。問題は、組織として動いているにもかかわらず、一職員の責任にすりかえられてしまっていることだ。

官民問わず、個人で意思決定できることなど、まずない。あるように思えたとしても、そこには組織としての判断が前提にある。福島第1原発の問題で、東電社員の給与削減がおこなわれるという。また、国家公務員についても、この非常事態の中、給与とボーナスの1割カットを3年間継続する方針が打ち出された。国の動向は、地方にも大きく影響する。

原発事故が発生したのは、東電社員の責任なのだろうか。とんでもない話だ。悪いのは、これまでさんざん危険性を指摘されながら、安全神話にしがみついてきた東電や政府ではないか。被災地では、公務員も日々の業務に加えて、震災被災者のために、自らの事情も顧みず、奮闘しているのだ。給与やボーナスをカットされなければならない理由など、どこにもない。

ぼくは、こんなことが頭に浮かぶ。小学生くらいの子どもとの会話だ。「おとうさん、何か悪いことしたの?」「わたしのおこづかい減らさないでね」。

かつて山一証券が倒産したとき、当時の社長が記者会見で涙を流しながら、こう発言した。「社員は悪くございません」。全くそのとおりなのだ。本当の責任はどこに、だれにあるのか。それを勇気を持って指摘する「責任」こそ、ぼくたちに問われている。

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