2011年12月15日(木曜日)[ たばこ病のない世界を・・・ ]

【第19回】名医との別れと26回の入院

10月21日から11月19日まで30日間、県立循環器呼吸器病センターに入院しました。26回目の入院です。我ながらあきれてしまいます。

間質性肺炎の一種で器質化肺炎の再発でした。始めの3日間は抗生剤の点滴を続けたにもかかわらず、炎症反応がかえって急上昇という血液検査の結果でした。

榎本主治医は、抗生剤が効果無しと見て、この間のカルテを研究して器質化肺炎再発を第一に疑い、他の原因、たとえば耐性菌マックの増殖の影響を配慮しつつ、プレドニンによる長期投与に踏みきりました。見る見る炎症反応も落ち、レントゲンの結果もよくなってきました。

名医との別れ

長年、主治医のこの病院の副院長高橋宏先生が10月8日逝去されました。喘息の名医、肺気腫等COPD=慢性閉塞性肺疾患の専門家でした。ところが僕より10歳以上若いのに、膀胱炎、膀胱癌となりました。一時は一定の治療効果が出て、昨年は副院長の任務にも就かれていましたが、最後は白血病も加わり大変苦闘されました。今回の入院では、僕も最後のころの贅沢として退院まえの1週間近く個室に入りました。

なんとここは高橋先生が、闘病された病室でした。9月にお見舞いに来た部屋なので、すぐ分かりました。すでに先生は骨にも転移し、白血病にもなっていましたが、それでも他病院の友人の医師に無理でも頼んで、肩からの栄養補給の手術を受けてきました。笑いながら報告する先生のそばで、奥様も頑張ってきました、と先生の闘志を評価されていました。

笑顔で握手し、お話しながらも僕の内心には、先生をここまで追い込み、足だけがむくみ、やせ衰えさせるがんへの激しい怒り、憎しみを抑えることはできませんでした。

同じ部屋にいることで、かえってまだ先生がいなくなった実感がわかず、今にも扉を開けて「水野さんどうですか」と入ってきそうな気配を感じていました。かつて鳩山首相が、普天間移転の県外の約束を破ったとき、僕の川柳“鳩の耳 おいてきました ワシントン”に大笑いされたことや、タバコ裁判支援に昂然とお名前を出していただいたことなど、想い出も尽きませんでした。それにしても「水野さん、命あってのものダネだよ」の先生の言葉は肝に銘じるつもりです。

先生は難しい僕の病気は、裁判もあり「俺が面倒見る」と思っていた節もあり、昨年の肺癒着でも既に現役でない副院長が何度もカンファレンスを開いてさまざまにご検討をいただきました。入院中、奥さんのお見舞いをいただきましたが、「まさか俺が先に行くとはな~」とおっしゃっていたとお聞きし、涙しました。先生とこの病院のおかげで、今回の入院も成功したのです。

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