2013年10月7日(月曜日)[ トピックス ]

「原発・核兵器・基地のない世界へ!」横浜市非核兵器平和都市宣言市民のつどい

10月5日、「横浜市非核兵器平和都市宣言市民のつどい」が開催されました。1984年10月2日に横浜市会が決議した「非核宣言」を実効あるものにと願い、横浜市内各大学やYWCA、アムネスティの関係者の呼びかけで開催され、今年で10回目。今年は、田中正造没後100年。公害の頂点ともいえる核による汚染、福島第一原発事故と重ね合わせて、原発も核兵器もない平和な21世紀を願い開催されました。

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呼びかけ人の小沼通二慶応大学名誉教授が「憲法と非核宣言」と題して挨拶と講演。

「いま、非核宣言は全国1742自治体のうち1492自治体が宣言している。広島長崎が呼びかけている平和首長会議には世界で158か国5759都市、国内では1372都市、横浜市も2010年に加盟し、今や世界に広がっている。しかし日本政府は核の傘に依存し、自民党は、集団的自衛権と称して、憲法を変えようとしている。『変革のチャンスは必ず訪れる』逃さず、一緒にチャンスをとらえよう」

続いて、2人の高校生・第16代高校生平和大使が平和活動を映像を交えて報告。「ビリョクだけどムリョクじゃない」を合言葉に、核兵器廃絶の署名を集め、今年100万筆を超えました。スイス・ジュネーブの国連欧州本部を訪問し、署名を手渡しました。日本政府代表部も訪問し、大使に会い、日本が核廃絶署名をしなかったことにも言及し、次回は署名することを返事させました。

爆心地から2・8キロの宇品で20歳で被爆した西富房江さんは「自分の家を探し、御幸橋を渡ったところ、一望千里―広島の市街は焼け野原と化し何もなかった。頭がはれ上がり膨張した遺体、黒焦げの死体、川の中にもビッシリ。どんなに熱かったことだろうと胸が痛みました」と68年前の広島の惨状を語りました。

最後の講演は田中正造研究の第一人者・菅井益郎国学院教授の「福島第一原発事故と原子力公害の脅威ーよみがえる田中正造の警告」。「オリンピック招致の陰で、原発関連死は910人にも達する。田中正造の日記に『デンキ開ケテ、世見(ママ)暗夜なれり』と書かれてある。田中正造は明治政府の産業優先政策がもたらす公害・環境汚染を警告した。足尾鉱毒問題は100年たっても終わっていない。福島は、5重の壁が容易に破られた。放射能は70から80キロメートルも飛散した。もし、3月でなく、夏だったら、日本全土がやられてしまったのではないか。福島原発事故直後、飯館村に入った。子どもは大人の15倍ぐらい被害を受ける。福島の子どもたちは被爆したのではないか、放射能は処分できない」と講演しました。「真の文明は山を荒らさず、川を荒らさず、村を破らず、人を殺さざるべし」。田中正造の言葉は現代によみがえる警告です。

最後に、アムネスティインターナショナル横浜グループの藤田さんから「非核宣言都市横浜への提言」を提案。参加者で確認しました。

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