2015年5月1日(金曜日)[ 登りたいのは山々 ]

【第67山】赤石岳 3,120m「大名登山その2」

前号紹介の大名登山は、正真正銘のお殿様によるものだが日帰り程度。今号の主役は殿様ではないものの、大勢を引き連れ1週間以上に及んだ点において、むしろお大名と呼ぶにふさわしいものである。

時に大正15年夏、中堅財閥である大倉財閥を一代で築き上げた政商・大倉喜八郎が、自身の所有地で一番高い所に登りたいと思ったことが発端である。同財閥傘下の会社(後年の東海パルプ系統)が南アルプス一帯の広大なエリアを保有、そこの最高峰こそが山の世界でも大名格に当たる、天下の赤石岳であったのだ。

時の大倉翁は既に齢八八歳。山頂で風呂に入るための風呂桶や、出来立て豆腐を食べるべく豆を挽くための石臼まで担ぎ上げたくらいだから、パーティーは実に二〇〇名余り、ニッポン登山史上最大の大名登山となった。現代なら登山口の椹島まで車利用で入れるが、当時は静岡駅から徒歩で三日を要して到達。そこからは今でもハードな本格的登山ルート、本人は駕籠に乗り、急峻な所では背負子状の椅子を担がせ、山頂では羽織袴に着替えて万歳三唱したと言う。赤石山頂からの眺めは、南アルプスの荘厳な峰々が幾重にも折り重なり、遠景の富士山や駿河湾などと相まって、山に親しんだ今時の人にも非日常的な圧巻のパノラマが得られる。ましてや情報などない中での明治大正の実業家が、興奮しきったであろうことは想像に難くない。狂歌の名手でもあった喜八郎の一首が、登山口である椹島の碑文に残されている。またこの時、上り下りに辿った尾根は大倉尾根と呼ばれるようになって現代にその名を残す。

当の大倉喜八郎だが、渋沢栄一と気脈を通じ、帝国ホテルや鹿鳴館を手掛け、大学も作るなど明治期発展に貢献したとの評の一方、死の商人としての悪評も高い。件の大名登山も、ニッポン登山史上のエポックか、傲慢な大金持ちの自己満足なのか評価が分かれるのは同様だが、少なくとも格差社会の究極の産物には違いない。ひるがえって貧富の差の激しくなりつつある昨今、政治に社会に厳しい目を向け格差の進行を食い止めることが肝要だ。かかる大名登山など、史上1回だけで十分と言うものだ。

◆おすすめコース
椹島― 赤石小屋(泊)―赤石岳(往復15時間:中級向け)

1405-yamayama

山それ自体も大名の風格漂う赤石岳(上の画像をクリックすると大きく表示します)

◆参考地図・ガイド◎昭文社:山と高原地図42「塩見・赤石・聖岳」

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