2015年8月7日(金曜日)[ 見解・資料 ]

権力を縛る立憲主義の実現は私たちにかかっている「 すべての住民のいのちと暮らしを守るため戦争法案を廃案に」

1413-03 いわゆる「戦争法案」が、7月15日、衆議院の特別委員会において与党単独で強行採決されました。翌日には与党を中心に本会議でも強行採決。27日現在、参議院で法案が審議入りしました。

戦争法案は憲法違反とする評価が通説で、立法行為そのものが立憲主義に反している、とさえ言われます。立憲主義という言葉は、高校中学の社会科の教科書が取り上げていますが、およそ10年前までは主要な教科書に「なかった」そうです。私も日本国憲法の3原則は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義(戦争放棄)」と習ったことだけ記憶しています。

今回は、「立憲主義」について調べてみました。安倍政権の暴走政治は、立憲主義だけでなく「民主主義」と「平和主義」も踏みにじっています。

民主主義は独裁を退けない

私たちは、侵すことのできない人権としての基本的人権を生まれ持っています。「王様は裸だ」と疑い、口を滑らせても罪に問われない思想信条・言論・身体の自由が、いかに王様にとって都合が悪くても、王様の独断で奪われないシステムが必要です。

民主主義は、人びとの自由、換言すれば自己決定を最大限大勢に保障するために、根底に多数決を用いるのです。

ところが、議会制の場合、選挙を経た国権の最高機関である国会が、多数の自己決定を尊重するとは限りません。まして政党の総得票率と議席占有率に差が開くどころか、逆転も起こる小選挙区制度ではなおさらです。これは戦争法案を巡っても、反対が国民の多数派であることが確認できるのに、むしろ確認できるから、焦って戦争法案を強行採決する政府・与党の姿勢に顕著に現れました。

また、多数派の代表で構成する議会が、少数派の自由を侵害することもありえます。人種差別を法律にすることなどは方法の上では可能だからです。

このように国会が国民に、もしくは多数派が少数派に特定の考え方を押し付ける結果は、独裁と同じで民主主義の失敗です。

民主主義の限界を設定する立憲主義

1413-04 そこで、民主主義に制限を設ける必要に迫られます。民主的な権力も腐敗するからです。その方法のうち、憲法によって国家権力を制限するのが立憲主義です。立憲主義は、多数派の意思の貫徹であるはずの民主主義と緊張関係にあります。いくら民主的な手続きを経た権力にも「できる/できない」があることを憲法で決めます。
たとえば自衛隊について。憲法学の通説では、軍隊および有事の際にそれに転嫁しうる程度の実力部隊は戦力とされています。学説を一貫すれば、自衛隊は違憲です。

とはいえ、外国からの急迫または現実の違法な侵害に対して、必要な一定の実力を行使する権利は、発動のための厳しい条件に服したうえで、独立国家の当然の権利とされます。

従来の政府解釈では、憲法9条の下でもこの個別的自衛権は否定されないことから、自衛のための必要最小限度の実力である自衛隊は合憲としてきました。裁判所は、高度な政治的な行為であることから、一見きわめて明白に違憲と言えない場合には、司法審査の範囲外にあるとして、政府解釈を追認してきました。ここまでが立法的、行政的措置の限界です。

立憲主義を踏みにじる暴挙

1413-05

戦争法案の違憲性は、憲法学の常識のみならず、政府解釈でも明白です。自国が直接の攻撃に合わなくても、米国などの要請で自衛隊をいつでも、世界のどこへでも切れ目なく派兵できる道を開くからです。

事実、第3次小泉内閣の官房長官だった安倍首相は当時、集団的自衛権の「行使は許されていないというのが政府の解釈でございます」と答弁しました。権力者の願望を、憲法が制限した瞬間でした。

そこで第1次安倍内閣は改憲にのりだします。途端「九条の会」などの運動が全国に広がり、世論調査で改憲反対が過半数となります。安倍首相はお腹が痛くなりました。

第2次安倍政権は、アベノミクスの信を問うとして、衆議院を解散。総選挙では戦争法案を隠し、与党で2/3を超える議席を維持するインチキな作戦をとりました。

議会の多数派を構成したとしても、法律で集団的自衛権を認めることは、立憲主義を踏みにじる暴挙です。違憲性が明白であるにも関わらず「違憲立法審査権は最高裁判所にある」「違憲判決が出たら改正する」などと嘯く態度も立憲主義に反しています。手順を整えるなら、憲法を変えてから、です。

壊憲できない平和主義

ただし、集団的自衛権の行使を可能とする憲法改「正」の可否は、その実、慎重に見ておく必要があります。

国家権力の人権侵害に待ったをかけるのが憲法です。したがって、人権の根本規範性を揺るがすような改正には限界があるとするのが通説です。日本国憲法前文では、日本国民を主語に「われらは、これ[人類普遍の原理―注]に反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」と宣言しています。自然権(生まれ持った侵すことのできない人権)の思想は人類普遍の原理です。そして人権と結びあって進化してきたのが、国際平和の原理です。よって平和主義もまた、改正権の範囲外だと考えるのが妥当です。

このことは平和主義が日本国憲法の原則の一部であることからも立証できます。基本原則の改正にはより一層の厳格さを設け、憲法に高度の安定性をもたせることなしには、立憲主義が徹底しません。60回も改正を繰り返しているドイツ憲法も、「人間の尊厳」の不可侵や民主制といった基本原則は永久条項として改正が禁止されています。

平和主義は立憲主義の前提

以上、民主主義・立憲主義・平和主義について概観しました。3つの「主義」は互いに牽制しつつも、協働して基本的人権、とりわけ「国家からの自由」(自由権)を支えています。

平和主義は、日本国憲法の持つ特殊性ですが、総力戦を強いられ、あらゆる自由が損なわれた歴史の反省から「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し」て憲法を確定した日本国民にとって、立憲主義の前提と言えます。

立憲主義と民主主義は対立概念ですが、思いあがった権力を立憲主義の枠内に押し込める力は、民主主義を希求する人民から生まれます。その文脈では「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」とした12条が国民にとって唯一の「純粋な」義務規定なのは頷けます。

そして、国民の「不断の努力」に増して、自治体労働者〈わたし〉は全文にわたる「憲法尊重擁護義務」を負っています。末端で国家権力を担う〈わたし〉の軸足が住民の人権保障に置かれるための重しをのせる憲法を〈わたし〉が愛おしみます。立憲主義を破壊する安倍政権を打倒していきましょう。

本稿の執筆にあたり、以下を参考にしました。
芦部信喜『憲法(第四版)』、全国憲法研究会『憲法問題14』、高橋和之『立憲主義と日本国憲法(第2版)』、西原博史『自律と保護』、野中俊彦他『憲法Ⅰ(第4版)』、長谷部恭男『憲法と平和を問い直す』、水島朝穂『はじめての憲法教室』#

Copyright (C) 2003 Yokohama City Labor Union. All rights reserved.