2017年6月23日(金曜日)[ トピックス ]

「世代を超えて戦争と平和を考える」2017平和のための戦争展 in よこはま

6月2日から4日まで、「第22回2017平和のための戦争展inよこはま」がかながわ県民センターで開催されました。特別企画の主な特徴は①世代を超えて戦争と平和を考える②新聞と戦争③横浜米軍機墜落事件から40年などでした。

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85歳の神倉稔さんは72年前、旧制中学1年の時に横浜大空襲に遭ったことを証言。「西区の東国民学校に避難したものの母と弟とはぐれ、翌日も翌々日も東が丘、黄金町、初音町、三春台と捜した。女性と思しき遺体を見ると調べた。赤ちゃんを連れた母親の場合は皆、お子さんを守るようにお腹をかばっている。この痛ましい光景には涙があふれて止まらなかった。母や弟の遺体を探すのが一番つらかった。平和は本当に大切だと思う」と時折声を詰まらせながら語りました。

日吉台中学校演劇部は「横浜大空襲 横浜は戦場だった」と題して朗読劇を披露。焦土と化した横浜駅周辺や日吉地域の空襲について朗読しました。今年中学生になったばかりの1年生や2年生がわずか1カ月ほどの練習期間で、そこに生きてきた人々のそれぞれの人生に思いを馳せ一生懸命演じました。

Y校生のNGOグローカリーは、教室からすぐ近くに見える南太田の丘に戦時中、空襲の戦闘機が墜落した話の聞き取り調査をしたことや過去の出来事を想像し、その意味を考えるとりくみ、横浜や神奈川県下の加害の戦争遺跡を訪ねるとりくみを報告。戦争のしくみ(構造)が見えてきたと言います。

明治学院大学大学院生の林田光弘さんは「被爆3世を生きる」と題して報告。長崎出身です。中学生から「高校生1万人署名活動」を行い、高校生平和大使として国連に署名を届ける活動を、大学生として横浜に来て核兵器廃絶を広げようとした矢先に、福島原発事故が起きたと言います。その後、SEALDSで活動し、いま、ヒバクシャ国際署名のキャンペーンリーダーを担っています。「今年3月と6月に国連での交渉会議が開かれ、今、目の前に核兵器禁止条約ができる状況になっている。放射線の恐ろしさを知っている被爆者が、体験を伝えることで切り開いてきた。被爆者は「被爆者」だけで大きなリスクを負っている。被爆者は平均年齢80歳を超え、常に恐怖を感じ生きている。2世3世も同じ。核兵器禁止条約を成功させなければ」と決意を語りました。

神奈川新聞社文化部記者の斉藤大起さんは「新聞と戦争」について、戦時下の新聞を映しながら講演。「神奈川新聞は戦争を止める力にはなれなかった。むしろ、戦意高揚に進んで手を貸してしまった。それはあらゆる紙面で、例えば広告でも国策に協力するものに限られていた。すべてが戦争に結びつけられていく。横浜大空襲の翌日の号外も被害状況を報告するのではなく、戦意高揚のために発行された」と紹介。現政権はメディアへの圧力を強めています。70年余り前の経験を今、教訓にできるか「神奈川新聞と戦争」の連載を続けています。

俳優の高橋長英さんは、40年前、横浜緑区(現青葉区)に米軍ジェット機墜落で、娘と孫を失った土志田勇さんの著書を朗読しながら事故を解説。「3歳の裕一郎君、1歳の康弘ちゃんは全身やけどを負い、翌日息を引き取った。母親の和枝さんは全身8割の大やけどで4年4か月後に亡くなった。自衛隊は被災者を救助せず、米兵を救助し、現場検証は米軍中心に行われた。沖縄で続く事件を見ても米軍基地を取り巻く状況は40年たった今も改善されていない。日本は独立国とは言えないのではないか」と憤りました。

戦争の記憶を風化させず、事実を知り、本質を明らかにすること―それは戦争を起こさせない平和な未来への力。世代を超え連携し築いていくことが必要です。

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