2017年8月4日(金曜日)[ トピックス ]

差別も低賃金も許さない「子どもたちに安全でおいしい給食を」の思いで団結 給食調理員たちの60年前の闘い

横浜市従学校給食支部は59年前、4日間のストライキをうち、全員の健康保険加入と臨時職員の身分を勝ち取りました。当時の闘いを記録した「労働者の旗の下に」が復刊され、200円で販売されています。復刊のために尽力をした元給食支部執行委員の安部瑞枝さんに話を聞きました。

「全員が市従に加入していた昔に比べて組合員が減った今、要求で闘うことが難しくなっていると感じています。今みたいにスマホやケータイ、ましてや電話さえない人が多かった60年前の調理員たちの頑張りを知ってほしいと、復刊することにしました」

61年前の学校給食調理員の平均賃金は4080円。10年働いても昇給はありませんでした。当時の一般職の平均賃金は2万6017円という、一般職の約6分の1程度の賃金で働いていました。そんな劣悪な労働条件の中で組合が結成されました。

「当時の調理員の賃金は教育委員会の補助金から半分、残りの半分はPTA会費と給食費から出していたんですよ」

学校教育法にもあるように、給食は行政が責任を持ち食育として行うよう努めなければなりません。市従の組合員たちは、「給食費全部が子どもたちの血となり肉となってほしい」と立ち上がり、調理員の身分保障と健康保険加入を要求し、闘い続けました。

「教育委員会は、489人の組合員に対して357人を『非常勤嘱託職員補助』という調理員としての立場が認められている身分にしたものの、残りの132人は『調理補助』という本当にひどい差別を持ち込んだんです。組合員を分断しようとしたんでしょうね」

しかし組合員の団結は揺るぐことなく、全員でストライキに突入。納得できる回答があるまで闘いはやめないと意思統一し、1958年12月8日の鶴見区を皮切りに9日、10日、11日と、連続4日間のストライキを決行しました。

その後市議会のあっせん案が出され、翌年1月に全員が健康保険に加入、4月1日より補助員全員を非常勤嘱託にするという回答でした。全国でも初めてといわれるこの闘いは、仲間を信じ、あきらめず闘い抜いた団結の勝利です。

「全員が怒りをもって立ち上がったことも、大変な中でもみんな楽しんでいること、そして仲間全員を大切にしていた横浜市従の組合員たちは『やっぱりすごいな』と思いましたね」

安部さんは1972年に横浜市へ入庁し、給食センターへ配属されました。保土ケ谷区と旭区の一部の学校のために作られた給食センターです。

「多いときで約1万2000食を作っていました。1番遠い学校へは10時30分頃にはトラックが出発するから、子どもが食べる頃にはスパゲッティなんて団子みたいになっちゃってるのよ。だから残飯も多くて。でも組合が『子どもたちに良くない』と要求して、今の自校方式が全小学校で実施されることになったのよ」

その後も様々な闘いがありました。昔の給食は薬で栄養を添加しており、独特の匂いもしたそうです。

「子どもたちに安全でおいしい給食を食べてほしい、薬を添加するなんておかしい、やめるべきだと市従が要求をしたら、教育委員会は『その分仕事が増えるけどいいのか』なんて言ってきたんです。他には輸入レモンや出汁のことでもたくさん闘ってきましたね」

今の地場野菜や鰹だし、とんこつスープなど、安全でおいしい給食に欠かせないものは市従の労働運動で勝ち取ってきたものです。

「給食支部を組織拡大するのに、教育支部の人たちが名簿を作成してくれたりと、力を合わせたから全員加入につながったと聞いています」

横浜でも中学校給食を実現し、このおいしい給食を育ち盛りの中学生にも食べてほしい。そういう思いで市従も参加する「学校給食をよくする会」は今年も署名に取り組んでいます。提出は12月を予定しています。

また安部さんは、この間のニュースなどでも取り上げられている過労自殺にも触れ、「闘う労働組合が彼らの周りにあったら起こらなかったことだと思うんですよ。悔しいです」と語ります。

「だからこそ、今の人たちにがんばってほしい。60年前ゼロから築いてきた先輩たちの闘いから学び、運動の励みにしてほしいと思っています」

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