「還暦を迎えた市従をこれからもよろしく」 写真で見る市従の60年
市従結成大会は、1947年12月19日、戦後の労働運動の高揚の中で誕生しました。この60年間、「団結を瞳のように大切に」しながら、幾多の困難を乗り越えて、運動を進めてきました。次世代に受け継ぎたいたたかいや運動は数知れず、そのほんの一部を紹介します。
3つの組合が1つに
今から60年前、2・1ストが占領軍命令により中止されるなどの戦後の激動する社会を背景に、3つの単組が大同団結して「1つの市従」になりました。
横浜市役所関係の労働組合のうち、現業中心の横浜市従業員労働組合と、本庁中心の横浜市職員組合と、区役所で構成する横浜市全区役所職員組合連合会の3つの組合が1つになったのです。名称は戦前からの伝統を持つ現業の組合に敬意を表して「従業員」の名称を受け継ぎ「横浜市従業員労働組合」としました。全国的にも珍しく「市従」といえば横浜をさすほどです。
市従は「思想・信条のいかんにかかわりなく労働者の要求で団結し、その実現のために団結してたたかう」ことを何よりも大切にしてきました。以来、歴史を動かす運動、歴史の変わり目に、「市従の旗」を翻しながら60年の歩を進めてきました。
誇りを持って安心して働きたい
1968年学校給食調理員の賃金差別を完全撤廃させ100%を勝ち取りました。PTA負担から始まり、日給月給の臨時職員を経て、70%、80%とさせ、100%の賃金を実現したのです。
1970年1月、愛児センターでは「2人夜勤体制」を要求して、組合ダイヤによる6人夜勤に突入、胸に赤いバラをつけた助産師6人が組合ダイヤでの勤務についたのです「スト」を背景に粘り強い交渉の末、画期的な人員増を勝ち取り「月8日・2人夜勤体制」を築きました。
70年代に「子どもを健保に入れたい」という女性組合員の要求からスタートした健保・扶養手当の男女差別撤廃闘争、1985年ついに扶養手当における男女差別を是正させ、申請主義に大きく道を開きました。1975年の国際婦人年を契機に、婦人部だけの問題にせず市従全体の課題として地道に粘り強くとりくんだ成果であり、全国的にも先駆的な取り組みとなりました。
平和と国際連帯
歴史的大闘争の「60年安保」はもちろん、「70年安保」「沖縄返還闘争」「ベトナム戦争」、そして核兵器廃絶をめざし、原水爆禁止世界大会やビキニデーなどにも一貫して取り組んできました。
1970年安保改定10年を迎え「安保廃棄」の全国的な運動がおきました。青年の学習活動が活発になり、横浜では青年安保学校が作られ、市従青年部は青学連や国労・港湾の青年部とともにその中心部隊でした。青年安保学校は「立ち見」が出るほど盛況で、青年だけで文化体育館を満員にする集会を3回開催し、映画「青春と安保」が作られました。
市民とともに
1978年、飛鳥田横浜市長の辞任に伴う市長選、市従は「市民の市長をつくる会」が擁立した朝倉さとしさんとともに選挙戦を展開しました。保守・官僚で6党の推す細郷さんに惜しくも敗れましたが、「革新市政の継承・発展」「市民自治」を掲げ、6党相乗りを批判して善戦した朝倉さんにマスコミも「事実上の勝利」と報道しました。
分裂を乗り越えて再統一を
1989年以降、「連合」に加盟する自治労への参加を見直すという方針にたいし、「連合」自治労派役員の暴力行為により、3度にわたり、中央闘争委員会が混乱し、委員長以下役員が負傷するという事態が起きました。市従はこうした暴力行為を徹底糾弾するとともに、組合員の団結を訴え、1990年第44回定期大会で「総団結方針」を確立しました。しかし「連合」自治労派は自分たちの暴力が通用しないとなると、第2組合=自治労横浜を結成するという暴挙に出ました。
市従はこの間、もとの大きな市従に戻るため、一致できる課題での共闘を呼びかけてきましたが、残念ながら1度も実現していません。しかしあきらめることなく引き続き呼びかけを強め、再統一を実現して、市役所職員の要となる組合をめざしています。
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「横浜市従」2008年1月1日・15日 第1198号
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