日本資本主義の「サステイナブル」

 誤植ではありませんでした。日本経済団体連合会(経団連)が先月9日に公表した総合政策提言。

「。新成長戦略」

 成長戦略でも、新成長戦略でもない、「。新成長戦略」。

 これまでの成長戦略の路線に一旦、終止符「。」を打ち、「新」しい戦略を示す意気込みを表しているそうです。

財界が反省?

 提言は冒頭「今回のパンデミックは、誰もが予想もしない形で世界経済全体を景気後退に追い込んだだけでなく、とりわけ社会の最も弱い部分に大打撃を与え、資本主義のもとで進行していた格差を浮き彫りにした」と言います。続けて、1980年代以降に台頭した「新自由主義」を「利潤追求のみを目的とした各種フロンティアへの経済活動の拡大は、環境問題の深刻化や、格差問題の顕在化等の影の部分をもたらした」とまで。

 さらには「行き過ぎた『株主至上主義』」という表現を用いています。それは、新自由主義がしばしば誤解されているようなニュートラルな「市場原理主義」(レッセフェール=自由放任主義)ではないことを表すときに用いられる言葉です。

 巨大企業の経営陣という経営資本家と株主という所有資本家が結びついて、強欲ゆえに、雇用される労働者(従業員)、もしくは生活する労働者(消費者)の権利をないがしろにしてきたこと。そして自然の物質代謝を撹乱し、地球環境を破壊してきたこと。さらには「献金」なる買収によって、政治を腐敗させ、政府を一部の巨大資本に癒着させて資本の利益優先の政策を続けさせてきたこと。まさかそれら一切合切をここへきて懺悔しようというのでは、まったく、ありませんでした。

 読み進めていくうちに暗い気持ちになります。

 「サステイナブルな資本主義」が提言の基本理念であり、実現のカギは「ソサエティ5・0」の実現だという、どこかで読んだ構想の単なる再掲が結論です。そして「規制制度がイノベーションを阻害しないよう、技術の発達に合わせてアップデートすることと、行政改革(略)政策による後押しが不可欠」だとの従来どおりの立場を繰り返しています。つまり、技術革新のための正しい投資を怠ってきた経営責任を政府に転嫁して規制緩和を要求し、減税と補助金を強請り盗る姿勢しかありません。

 そのうえ「サステイナブルな成長を遂げるために、中長期的には財政の健全化、社会保障制度の持続性確保を図る必要がある」とは盗人猛々しい。大企業・富裕層減税で空いた財政の穴を大衆課税の消費増税で埋めてきたのが1989年から今日までの歴史ではないか。

 「サステイナブル」。財界にとって、甘い汁を吸わせてくれる体制が「持続できるさま」を指すようです。