【翻訳】気候正義を求める運動と労働組合および労働者階級 #気候危機と労働運動

 ここに紹介するのは、国際労働組合権利センター(ICTUR)が発行する「International Union Rights」の2019年4号に掲載された論文をわが組合の書記が翻訳したものです。ICTURへの連絡と翻訳にあたり全国労働組合総連合(全労連=市従が加盟するナショナルセンター)の布施恵輔国際局長にご協力いただきました。全労連はICTUR=The International Centre for Trade Union Rightsに参加しています。

プロフィール MARK BERGFELD(マルク・ベルグフェルド)UNIグローバルユニオン・ヨーロッパ 警備・清掃・介護部門局長。以前、環境運動と気候抗議行動に参加していた。

気候変動は公衆衛生の問題であり、労働者の権利の問題だ

 この30年間を特徴づけるのであれば前例のない二酸化炭素ガス排出量の増加とCOP会議(気候変動枠組条約締約国会議)のたびに人々から注目される気候変動に反対するグローバルな運動が発展してきた期間といえる。国際社会は2016年のパリ協定の目標達成に程遠いが、「未来のための金曜日」や「エクスティンクション・レベリオン」に代表される新しい環境と気候変動運動が発展し、「気候正義」というスローガンを用いるようになった。近年の学生たちによるストライキ[授業ボイコット]や気候変動に対する大規模なデモは、先進国側に住む多くの人々が気候変動に対して何かをしたいという深い感情の表れである。彼らの多くにとって初めての政治的アクションへの参加であり、当然のこととして彼らは既存の気候変動に関する運動に希望を寄せている。

 しかし、広範な労働者と労働組合を運動に組織することを妨げている多くの課題が存在している。その多くが組織化戦術に関するものであるが、広い意味での政治という問題もある。

気候変動をめぐる運動のNGO化

 1990年代後半の主流NGOはG8サミット、WTOやCOPの主要な交渉会合の際に会員や賛同者たちを動員するようになった。1992年のリオ地球サミットの際にNGOは国際舞台で大きな存在感を示した。1990年代半ばから多くの多国籍企業が社内で環境キャンペーンをおこない、環境問題に関する企業目標を設定するようになった。機関投資家たちが環境や社会的ガバナンスを重視するようになり国連の持続可能な開発目標[SDGs]への参加が魅力的なこととなっている。

 リオ地球サミット以降、大きなNGOは環境と気候変動に関する政策決定プロセスの交渉会合の席を得ることに成功した。しかしながら労働組合が組合費で財政をまかなっているのとは異なり、多くのNGOは民主的な指導性を持たない民間企業のような構造をしていて各国政府や巨大な民間企業(またはその両方)からの資金援助に頼っている。このことによって彼らは常に成功をアピールしなければならず、資金提供者を満足させ続けなければならない。このことがいくつかのNGOが市場メカニズムと多国籍企業が常に奨励している技術的「修正」を熱心にアピールしていることについての一つの説明となる。これらのNGOは「多国籍企業の関与なしには気候変動は遥かに悪化していた」と主張するだろう。そのことは同様に多国籍企業による全く環境的に非効率なプロセスへの参加を正当化しようと狙っている。

 2007年のバリで行われたCOP13の失敗を機に主要な一部のNGOは「今こそ気候正義を」の旗のもとに緩やかなネットワークを形成した。このネットワークは2009年にブラジルのベレンで行われた世界社会フォーラムにおいて国際正義に取り組む活動家や急進的な環境主義者が結集し、気候正義宣言を起草する場を用意した。これにより多種多様な環境運動が膨大な人員をキャンペーンや抗議行動、抗議文の送付などに動員することを可能とした。それに続く2009年のコペンハーゲン気候サミットがターニングポイントとなった。「気候正義」というユビキタスな最小限の合意のもとに広範な運動の強力な基礎を築くことに成功し、それが今日の学生たちによる気候ストに影響を与え続けている。にもかかわらずCOP15では拘束力のある目標を定めることなく終了した。COP15の交渉決裂はロビイングや専門家の仕事が時代遅れであると明らかにした。もはやNGOは過去15年と同じような影響力を行使できなくなっている。「レクレイム・パワー」を先頭とするような急進的な気候変動活動家たちは彼らが期待したほど国連気候変動枠組プロセスを弱体化させられなかった。

 このことについて一つの理由をあげるならば労働組合と組織労働者が結集していなかったということだ。実際、労働組合は企業による「グリーン・ウォシュ」戦略[環境に配慮していると見せかけた欺瞞]を暴露し、労働協約を通じて足元から資本を規制する潜在的な自らの力をいまだに自覚していない。自由市場を通じた気候危機解決など期待できない中で、このようなアプローチは今まで以上に求められている。今日に至ってもなお政策立案者や世界のリーダーたちは国家を駆使した気候変動対策に躊躇し、その代わりに政策議論の中心は企業と消費者のインセンティブに任され、労働者は完全に議論から外されているように思われる。

再分配、開発 そして南北分断

 「未来のための金曜日」が始まるずっと前から、気候正義は再分配と開発の権利の観点に組み込まれていた。その中でもコフィ・アナン前国連事務総長、ゴードン・ブラウン元英首相、ジェームス・ウォルフェンソン元世界銀行総裁は気候正義への支持を表明していた。同時期の欧州議会は加盟国に対して2050年までの長期的視点に「気候正義」を組み込むよう促していた。これらのことから「気候正義」がすでに権力を持ったエリートたちの利益のために取り入れられていたといえる。

国内外の資本と労働者の力関係にも異議を申し立てないならば、究極的には気候変動に対する運動は国内に存在する不平等に背を向けることになろう

 しかし、気候変動に対する抗議の性質は先進国と発展途上国で大きな隔たりがある。南半球を中心とした発展途上国の国々は地理的に気候の不安定化の影響を受けやすい傾向にあり、先進国に比べると労働組合やNGO、市民社会が歴史的に確立されておらず、その影響力も強くない。このような未発達な部分があることで壊滅的な気候変動に対して効果的な行動の組織は難しいであろう。一方で北半球を中心とした先進国の環境運動は20世紀全体を通じて労働者階級を多数派と考えない勢力との連携づくりに陥ってしまっていた。いくつかのNGOは海外の収奪されて力のない発展途上国の人々を代表すると称しながら明らかに先進国政府やその国際的開発計画を取りまとめているとおぼしき状態である。

 気候正義運動のような国際的な運動は「先進国vs途上国」や「東vs西」などのステレオタイプな語り口に陥り、国内的な階級構造を見落とす危険性がある。気候債務補償への要求は発展途上国の闘いに注目を集めるが、気候変動問題に関する根本的な対立を先進国と途上国間のことだと誤解を生むこととなる。それは気候変動をめぐる先進国と途上国双方で国内の階級対立が実在することを覆い隠す。国内外の資本と労働者の力関係にも異議を申し立てないならば、究極的には気候変動に対する運動は国内に存在する不平等に背を向けることになろう。北から南への富の再分配は今まで以上に必要であるが、それは国内にも適用しなければならない。先進国における温室効果ガスの削減にはこれらの国の富裕層の生活習慣を見直さなければならない。

階級と気候正義

 気候運動に特徴的な2つの問題は気候変動に対する「個別の解決策」と急進的な気候活動家が推進する経済戦略である「脱成長」という概念だ。脱成長を進める活動家は経済発展が生態系を維持できる限界に達しただけではなく、それを超える事態だと主張し、生産と消費の縮小を提唱している。つまり気候正義というのは裕福な国々がその規模を縮小すべきだということだ。

 しかし、これは先進国の低賃金労働者たちに展望をもたらすことにならない。今日におけるケアワーカー、清掃員、警備員という低賃金労働者たちは汚染された工業地帯の清掃や原子力発電所の警備、高温下での高齢者介護などをおこない健康と安全に関わる深刻なリスクなどに直面している。このような仕事の外部委託は、傷病手当や年金受給の権利がないだけでなく、気候危機の影響も最前線で受けることになる。これらの業種は現在最も成長している業種であると同時に組合組織化率が最も低い分野でもある。

 したがって意味のある気候正義のための運動は国家レベルでの政治的要因を変革するということに集団的に注目させることに成功せねばならない。「気候正義」は気候正義を達成する過程とカーボンニュートラル社会における労働者の役割について戦略的ビジョンを含んでいなければ手段として機能しない。

 企業の自主規制を当てにするのではなく、解決策は気候変動の影響を受けているコミュニティ、不合理な影響を受けている分野の労働者から発生するものでなければならない。気候変動は公衆衛生の問題であり、労働者の権利の問題だ。そうは言うものの、気候変動に関する運動は労働組合運動と労働者の世界を変える力について非常に深い悲観的な悩みを持っている。このことが一方での自発主義、他方での決定論的な態度をつくり出している。

希望と「激変説」

 環境運動と気候運動が労働者階級や労働運動に働きかけるためには、彼らの「激変説」を打ち消さなければならない。どの気候サミットも「いま燃えている地球を守る最後のチャンス」という論調をまくし立てている。このような激変説は政治的変化や社会変革を約束するものではなく、洪水や森林火災が起きても彼らを無関心から目覚めさせることはできず、新たな世界への道しるべにもならない非常に反動的なものだ。むしろ終末論的シナリオに基づく政治戦略は恐怖と無関心、冷笑を増幅させる。

 幸いなことに「未来のための金曜日」の学生気候活動家たちは、地球を救うにはまだ猶予があるという希望あるメッセージを発信し始めている。グレタ・トゥーンベリは、『変化を作り出すのに小さすぎることはない(No one is too small to make a difference)』という著書の中で、現在の多重的危機について、多国籍企業と政策決定者が現在の苦難を作り出したことを批判して、その倫理的責任があると述べている。一般の人々が犠牲になるべきだと主張するのではなく、彼女は常に富裕層や権力者、著名人などに対して効果的な変化をもたらすために彼らが保有しているプラットフォームを活用すべきだと訴える。

 環境運動の中ですべての前向きな動きがあり、労働組合からも前向きな兆しがあるにもかかわらず、主流メディアは、まるで雇用を擁護すると必然的に地球のより広い利益を失うかのように、未来のための金曜日と労働組合との新たな対話を二者択一の枠組みで報道し続けている。このような言説はまさに労働組合が打ち破るべきものだ。「気候正義」を現実のものにするために、労働組合の職場や産業別に制度化された組織的な力が必要となることを過去30年の環境保護主義は証明している。