「気持ちにゆとりが持てない時も。しかし、直接、患者と対応しているからこそ、伝えられることがある」新型コロナウイルス感染症対応を経験して

 掲載するのは、区の健康づくり係に勤務していた保健師の手記です。他区のこども家庭支援課へ転出して1年後、「個人の経験や感想ですが、新型コロナ対応の現場を知るきっかけになればと思います」と寄稿してくれました。エッセンシャルワーカー、キーワーカーと呼ばれる人々がパンデミックから救った大勢の命があります。生活と生命の維持にとって必要不可欠な職業につく人々の存在が注目された一方で、その働きに敬意を払い正当に評価する社会の到来には程遠いことが分かります。ここにも労働運動が歩みを止められない理由があると言えるでしょう。見出しは編集部。

手探りの中始まった対応・・・

 2019年、新型コロナウイルス感染症が初めて確認された頃は、「海外のニュース」と思っていました。2020年2月、横浜港にクルーズ船が停泊した頃から感染症対応が始まりました。

医療崩壊を目の当たりにした人々にできることは、ソーシャルディスタンスを確保することだけだった。
2020年3月、誰もいないイングランド北部の都市リーズの街路。電光版にはSTAY HOME――

 当初は、ウイルスの感染力や感染方法などが明らかになっておらず、PCR検査の体制も限られた状況でした。 新型コロナに関する相談全般やPCR検査の調整は、健康づくり係が窓口だったので、区民や医療機関からの問い合わせの対応、PCR検査や入院の調整、入院患者やPCR検査受診者の移送や対応者の感染防護服の着脱介助、患者調査や濃厚接触者調査、他区他都市への調査依頼など、すべての対応をおこなっていました。患者数が増え、健康増進事業は中止となりましたが、結核などの感染症対応は継続しました。新規結核患者が発生した時は、保健師間で調整しながら対応しました。

 未知のウイルスの対応のため、マニュアルなどはありませんでした。患者調査、濃厚接触者の選定や感染症対策などのマニュアルもまだ整備されていない間は、感染症学会の情報を元に検討・判断しました。次第に対応マニュアルが示され、刻々と変化する情報は、ホワイトボード等に最新情報を掲示して共有・更新しながら対応しました。

限りある病床と入院の調整

患者数が増えるにつれて、
「こなさなければならない状況」になりました。
いっぱいいっぱいでした。
助けて欲しいけど、
調整をする余力はありませんでした――

 新型コロナウイルス感染症は、指定感染症であるため全数入院が必要です。患者数が増え始めると、現在より病床数がかなり限られていたので、病床はすぐにいっぱいになり、自宅療養を余儀なくされました。そのため、毎日、自宅療養患者の健康状態の確認も行なうようになりました。病状が悪化する方もいて、限られた病床で入院できるように調整をする緊張もありました。また、療養解除のためのPCR検査もおこなっていたので、その調整等も行ないました。その後、コールセンター、県の療養サポート体制、宿泊療養施設等が設置されました。療養期間が設けられ、療養解除のためのPCR検査は不要となりました。

 コロナ患者数の発生の波が落ち着いているときは、結核対応を集中的におこない、保健活動推進員等の活動再開に向けて感染症予防啓発、学校関係者等に予防対策や患者把握時の対応の啓発などをおこないました。また、対応や気持ちの振り返りもおこない、自分たちがやったことを労いました。そして、予測される次の波への準備をしました。

「保健師が倒れる」応援体制が組まれた

 患者数が急増し、「これでは保健師が倒れる」と保健師が声をあげました。福祉保健課の課長や係長が保健師にヒアリングをして、剥ぎ取れる仕事を洗い出し、マニュアル作成、課内や他課との調整をしました。応援職員へのオリエンテーションも担ってくれました。「なんでも保健師が対応」から、「保健師だからできること」にシフトしました。最終的には、患者調査、施設調査、予防啓発が保健師対応となりました。他課の保健師も応援体制となりました。

退勤時刻を過ぎてもほとんどの職員が残る福祉保健課。長時間労働の常態化によって完全には回復しない体力と蓄積してゆく疲労感を抱え、膨大な業務を前に精神も削られていく(2021年8月24日撮影、組合員提供)※写真は加工しています

患者を待たせる日々の葛藤

 新型コロナ対応全般、その他感染症対応で残業も続き、体力も消耗しました。初期の区民や医療機関などからの問い合わせでは、報道内容に反応した問い合わせ、不安の訴えや不安が怒りになって、保健所への批判、誹謗中傷、時に罵りなどもあり、1件1件に時間を要し、精神的にも負担が大きい日々でした。いろいろとやらなければならないこと、患者を待たせていること等への葛藤もありました。この頃は、患者調査が「ありがとう」と言われる、貴重な機会でした。

 患者数が増えるにつれて、「こなさなければならない状況」になりました。いっぱいいっぱいでした。助けて欲しいけど、調整をする余力はありませんでした。

保健所批判は敬遠されたが

 個人的には家庭との両立も大変でした。新一年生の子どもを抱え、休校中の対応も気になりました。
緊張状態が続き、自分が感じている以上のストレスがかかっていたと思います。同僚や上司から「疲れていますよ!」「休んだら?」と声をかけてもらって、意識することもありました。心身ともに疲れていましたが、自分が長期に休むと周りに負担がかかる、自分自身のためにも、とにかく倒れないようにと心がけていました。

 土日出勤も交代であったので、計画的に代休を取るようにしていました。ストレスが長期化すると1日では疲れが回復せず、オフ状態になるまでに時間もかかりました。オンとオフの調整が難しくなり、夜も脳ミソが回転して、うまく眠れない、寝ているのに疲れが取れない状態になりました。私は、3日目の休みでやっとリラックスできる感じがしました。

 流行の波が再来したときは、一度弛めた状態からオン状態に切り替えが求められますが、モチベーションが上がらず、とても苦労しました。

 報道で保健所について取り上げられ、保健所批判は敬遠されましたが、残業を終え、駅に向かう途中、呑んで笑いながら歩く人を見ると、悲しい気持ちにもなりました。

 時には、「前例がない」等の県や局の対応に疲弊したこともありました。応援体制でマニュアルを元に対応していると理解できますが、気持ちにゆとりが持てず、気持ちのコントロールがうまくできない時もありました。しかし、直接、患者と対応しているからこそ、伝えられることがあると思います。

おわりに――
いまだ回復期間

 2021年4月に健康づくり係から異動し、1年が経ちます。未だ心身の体調は万全とは言えません。ダメージを受けた期間以上の回復期間が必要なのかと感じています。