働くのは8時間 休むのが8時間 あとはわれらに自由を

 1886年、半日以上の長時間労働が当たり前だった時代に、労働者は8時間労働制を要求しました。国際労働者の日=メーデーの始まりです。「100年前にわれら労働者階級が闘ったことのために闘っている」。先月、米国の労働運動のリーダーで客室乗務員のサラ・ネルソンがアマゾン倉庫作業員を激励したように、世界中で8時間労働制は闘われ続けています。

May 1 is International Workers´ Day

 5月1日がメーデー=国際労働者の日として知られるようになったのは、12時間、それどころか16時間が標準だった労働時間に労働者階級が異議を申し立てた歴史に起源を持っています。

 1886年のこの日、米国全土の30万人の労働者が1日8時間労働の統一要求を掲げて、統一行動に立ち上がりました。労働運動の中心地のシカゴでは、4万人の労働者がデモンストレーションに参加するために、職場を離れました。5月3日、資本家階級の意を汲んだ警察によって鉄鋼労働者が襲撃され、殺害されます。労働運動の指導者たちは翌日、市内のヘイマーケット広場で暴力に対する抗議を呼びかけました。抗議行動もまた警察隊によって弾圧を受け、逮捕されたうちの4人が翌年、絞首刑に処せられました。4人は帰らぬ人となったものの、のちに冤罪は晴らされ、米国労働者は最終的に8時間労働制を勝ち取りました。

 これが、夏の訪れを祝う「五月祭」を国際労働者の日に変えたヘイマーケット事件です。

 今日まで世界中の労働者は、毎年5月1日が来ると、祭典やデモンストレーションなどに取り組んでいます。ヘイマーケット事件の犠牲者の精神をたたかいに生かし、階級的自覚と戦闘性を構築することを誓い合うことで、世界の同志に連帯の挨拶を送ります。

「小学校給食の直営堅持」「小学校のような給食を横浜の中学生にも」。給食調理員たちの願いは〝子どもたちの笑顔〟です。

第93回 神奈川県・横浜メーデー

 沢渡中央公園では、「働くものの団結で生活と権利を守り、平和と民主主義、中立の日本をめざそう」をメインスローガンに式典が行われ、約1000人が参加しました。

 実行委員長の住谷和典さん(神奈川県労働組合総連合 議長)は、主催者あいさつで、ILO(国際労働機関)が1919年に採択した「工業的企業に於ける労働時間を1日8時間かつ1週48時間に制限する条約」にも、2019年の「仕事の世界における暴力及びハラスメントの撤廃に関する条約」にも日本政府が批准していないことを「国際社会から遅れに遅れる」と批判しました。そのうえで、「たたかう労働組合を大きくすることが、労働者の賃金、生活と雇用、社会問題の解決に向けて大きな役割を果たす」と指摘しました。そして「コロナ禍、物価高騰、不安定雇用、低賃金に苦しむ労働者と団結、連帯して、働く喜びを感じられる社会にしようではありませんか」と呼びかけ、「メーデー万歳」と結びました。

住民の負託に、応えたい。

 式典の後は隊列を組んで、横浜駅西口を通って交差点を左折し、岡野公園まで直進するコースで車道を行進して、デモンストレーションをおこないました。

公務労働者たちの根本の要求は「住民に寄り添った仕事をしたい」
横浜市従業員労働組合に結集する仲間の願いです

 横浜市従業員労働組合の参加者は、「住民の負託に、応えたい。」と大書きされた横断幕を先頭に、住民のくらしに直結する職場要求を支部ごとに掲げて歩き、沿道の注目を集めました。横浜駅前の交差点では、「なんて読むのー?」「フタクだよ。公務員の労働組合じゃないかな」と会話するアベックの声が聞こえてきました。