(第1回) 「対等な日米関係」どこに?

日米同盟は、いまだかつてないほど強固で、幅広く、そして不可欠なものとなっている。我々は、過去60年間の成果を賞賛するとともに、今後も日米同盟を強化し、日米両国が共有する価値と諸原則を堅持するとの揺るぎないコミットメントを改めて表明する。

 1960年1月19日、岸信介首相(安倍首相の祖父)の手で現行の日米安全保障条約(以下、「改定条約」)は署名された。同年6月23日に批准、発効し現在に至る。

 改定前の日米安全保障条約(以下、「旧条約」)は、1951年9月8日にサンフランシスコで講和条約と同時に結ばれた。

 当時、第二次世界大戦に敗北した日本帝国主義は、連合軍を名乗る実質は米軍単独の占領軍によって支配されていた。この占領は民主化・非軍事化ののちに終了するはずだったのである。

 ところが、旧条約を結ばされることによって、米軍が日本に駐留し続ける。1947年に米国とソ連の「冷戦」がはじまり、1950年に朝鮮戦争が勃発すると、日本を兵站基地として利用することを米国が考えたからだ。いわゆる「全土基地方式」である。それゆえ講和も米国を中心とする「西側諸国」のみで、東アジア諸国などとは、講和を結ぶことが許されなかった。

 さて、改定安保条約は、国会答弁などで「対等な日米関係」を実現する、と岸信介首相が説明していたものだ。

 いま、新型コロナ禍により、各国とも巨額の財政出動が不可欠になっている。韓国では約850億円の軍事予算を削減し、国民への支援金の財源にするそうだ。他方、日本ではF35ステルス戦闘機やV22オスプレイなど、防衛省・自衛隊が必要としていない高額兵器をトランプ大統領に言われるまま安倍首相が「爆買い」し、軍事費の高騰を招いている。対等どころか、日本が従属させられる「米日関係」ではないか。何が「同盟国」だろう。

 おや、忘れるところだった。冒頭の引用は、改定安保条約が署名から60年を迎えるのを前に、今年1月17日、茂木外務大臣、河野防衛大臣、ポンペオ国務長官、エスパー国防長官の連名で出された「共同発表」だ。

 この連載では、改定条約の発効から60年、日本経済の歴史を辿っていく。日米関係は実際のところ、いかなるものなのか。おそらく「共同発表」と異なる評価が浮かび上がるはずである。結論を急ぐなら、労働者・住民の生活が優先されない根本に、財界要求と並んで「日米同盟」が横たわっている、というのがわれわれの仮説である。

改定に抗議する人の行進が車道をふさいだ(当時の都内)

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