(第3部2回)トイザらスきて ゆく艦艇

(第3部2回)トイザらスきて ゆく艦艇

 89~90年におこなわれた「日米構造協議」による米国の「命令」は日本の経常黒字削減だけではなかった。

 当時の米国は、超低金利を押し付けてバブルを発生させる一方で、高騰する不動産価格を日本参入の「障壁」とみなしていた。そこで、開発できる土地を広げ地価を下げるために都市部の農地に対する優遇税制を廃止させた。急速な宅地化がすすみ都市農業は壊滅した。加えて大手デベロッパーや都市部にオフィスやビルを持つ大企業を標的とする地価税(現在は停止)を導入させた。これらはバブル崩壊のハードランディングの一因となったのではないか。

 さらに米国のおもちゃ小売大手「トイザらス」による日本進出計画を背景に、中小規模事業者の正常な発展と消費者の保護を目的として一定規模以上の小売店舗を規制していた大店舗法の規制は91年5月に緩和された。その結果、徒歩圏内で生活必需品を入手できた地域の商店街はシャッターで閉じられ、車で郊外の巨大店舗に買い物に行くという現在の生活スタイルが形づくられることとなる。単一の外資企業や産業のために日本国内の規制を破壊するIRカジノ誘致関連法制などの起源も、この時期に由来すると言えるだろう。

 米国の要求は法律の改定だけにとどまらなかった。独占禁止法に見られるように、運用の「強化」にも注文をつけた。敗戦後に米国によって解体された日本の財閥体制は、株式相互持合いなどにより、旧財閥系グループとして復活していたため、米国資本が株式買収によって支配しようにも事実上困難だった。こうした日本の国内の経済は国内資本で構成するという「企業文化」を米国は「排他的」「閉鎖的」と批判して解体する。

 こうして90年は「属国化元年」となったが、それは経済だけではなかった。

 90年8月にイラクがクウェートに侵攻し、91年に国連の多国籍軍が介入して湾岸戦争へ発展した時、海部俊樹首相は平和解決をもとめるフランスを無視し、軍事介入に踏み切った米ブッシュ(父)政権を支持し、一切の積算根拠なく総額130億ドルもの資金を提供した。同年4月には停戦発効後とはいえ米国に要求されるまま現憲法下では決して認められるわけもない自衛隊ペルシャ湾派兵を強行。「我が国船舶の航行の安全」を口実に機雷除去という明らかな戦闘行為に参加させた。

 次いで92年に宮沢喜一政権は停戦前に派兵しなかったことへの「国際的な批判」を理由にPKO法を成立させる。これを境に自衛隊は米軍の指揮下に入ることになる。

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