(第3部5回)米国いいなり「行革」の復活

(第3部5回)米国いいなり「行革」の復活

 1990年のイラクのクウェート侵攻を引き金に勃発した91年の湾岸戦争は、米国にとって中東における利権を防衛するものだった。

 しかし、膨大な「双子の赤字」を抱える米国に単独の軍事行動は不可能だった。ゆえに米国は、国連安保理決議によって多国籍軍を活用することで、湾岸諸国と日本、ドイツに合計450億ドルの戦費を負担させた。なんと91年の米国の経常収支は黒字となっている。

 湾岸戦争後、経済の「復活」に成功した米クリントン政権にとっては、もはや国連を通じた各国の同意など必要なくなった。以降は同盟国・友好国に人もカネも肩代わりさせ、米国の利権を地球規模で守るという安全保障戦略を採用していく。

 日本では92年のPKO法成立以降、自衛隊は常態的に海外へ派兵されるようになり、朝鮮半島の核開発問題なども梃に日米安保体制の「再定義」が米ジョセフ・ナイ国防次官補主導のもとでおこなわれるようになった。

 その総仕上げが96年4月に訪日した米クリントン大統領と橋本龍太郎首相との首脳会談後に発表された「日米安保共同宣言」である。宣言によって日米安保条約に定められた「極東」は、文言を一切修正されることなく「再定義」され、自衛隊の活動領域はヨーロッパとアフリカを除く地球の全域である「アジア太平洋地域」になった。

 そして、その具体化として97年9月に「新ガイドライン」が策定され、小渕恵三政権のもとで99年5月には日本の領土以外で発生した脅威に対応するための「周辺事態法」が制定された。

 90年代、米国の軍事費の減少傾向に対し、日本のそれは増加傾向を示した。

 ところで、90年代の日本では、その中盤に大規模な贈収賄「リクルート事件」に端を発する選挙制度の大きな変更があった。政治不信を背景に「政治改革」として導入された小選挙区選挙制と政党助成金だ。

 橋本政権の自民党単独政権への「純化」は、小選挙区制導入後初となる「大義なき解散」と96年10月の総選挙が可能にしたと言える。つまり、4割程度の得票で議席の7~8割を得る小選挙区制と低投票率は、自民党一強を決定づけた。しかも、政党助成金=税金による政党運営が可能になったことで、国会は民意と大きく乖離した。

 そのことが、国際資本取引の自由化を重視した、金融覇権を狙う米クリントン政権の対日経済政策の忠実な実行者たる、橋本の「5つの改革」提唱=中曽根「行革」路線復活を許したのだった。

米海兵隊が自衛隊機で移動する

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